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05/01/2016 腰椎分離滑り症の後方固定術

手術自体は3月半ばにやりました。
終わって起きた時は痛すぎて手術したことを後悔しました。
最初の三日間はもう以前のように歩けないのではないかと覚悟しました。
だがそんなこともなかったぜ。

手術の日から一週間経ったら足を入れ替えつつも、階段が五段くらい登り降りできるようになり、歩行器なしでもリハビリの先生に見てもらいながら歩けるようになりました。
病院の中は退院まで歩行器移動でしたが、これなら帰宅しても歩けるかなという感じで、予定の二週間より3日早く退院。
こんな痛みが存在する事を知らなかった。

手術は滑りの量は多くなかったが、中で神経同士が癒着しており、それを治していたら一時間多くかかったとのこと。
おそらくそれが原因で痺れが出たりしていたんだろうなというところ。
傷の痛みと新しく入れた金具のなじみ?の痛みはあったけれど、お尻の中心が痛くて立っていられないけど座ってもいられない、というのがなくなって感動。

曲げたり、しゃがんだりできないので(そもそもコルセットをしている)、コルセットを外して寝る時に脚の向きとかが変になると痛いです。そこは気をつけたい。
あと、コルセットで強制的に姿勢よくなっているので椅子に数時間座るとそれで腰の横がつかれます。
手術前は30分も座れなかったので、手術をした意味はでかいです。

ちなみに同じ整形外科の病棟は一割負担レベルの年齢の人ばかりでした。
正直なところ社会人だったら仕事に戻れてないと思う(一ヶ月半経っても電車で立って乗るとぐらついてあぶないです。ラッシュ時間帯でなくてもコルセットしてても優先席の人は寝たふりをするのが定番なので、その前の手すりと吊革に両手で捕まっていたら突然揺れた時にバランスを崩し座っている人の膝に思いっきりぶつかって渋かった。)
そもそも職場に辿り着けないし、落としたものや低い位置のものを拾えないので、事務でも難しいと思う。


まあそもそも自分の年代(20代後半)でこの手術をする人はもはや仕事どころかうまく生活できてないレベルの人なのではと思った。

自分はキャリア競争から離脱して学生をしていたので、両親と実家暮らしで食事も作って貰えたので、手術前に自殺しなくて済んだのかなと思う。
前回のエントリを書いた日以降は手術までは日に日に酷くなって、専門学校も出席しないと一年間通った意味が一切無くなる単位制度だったのでとにかく日にちを消化するために通っていたので、最後の二週間は何をしていたのかいまいち記憶にない。
どういう心理状態だったか思い出せないがとにかく切迫感があって、思いつめるという表現が正しいっぽい。

ちなみに手術する大病院にいくまでに2つの病院を経由している(レントゲンやMRI(高い)を取った)ので、入院保険ではカバーできないし金銭的にも手術するための病院に行き着く前に死ぬことを選ぶ人はそれなりにいそう。
というくらい過酷だったんですよ。

そうじゃなかったら背骨の上下金属で繋いで椎間板も人工のものを入れることにならない。というか生きてて普通やらないだろこんなの。
手術専門の病院で、入院中一日おきくらいに手術し終わった人が追加され、一人退院するみたいな感じで、その病院での腰椎分離症の手術の件数は300件はなかった(首とか膝の人もいる)。

今は2kg以上のものを持ってはいけなくて、とりあえず術後三ヶ月はそうなので(1kgちょいでも持つとよくない感がしてくる)、散歩をしたり、スマホを眺めるみたいなことが多い。
読書は本自体が重かったり、腹ばいになれないとか、そういう面で難しさがある。食事は座って食べれるようになりました!!!!!
歩く速度も痛くなる前のレベルに戻りました!
麻痺して左足が前に出なくて物理的に進めないとかもうないです!

バイクは一年くらい乗れなさそうで、税金がかかるので、父にナンバーを外してもらい3月中に近くの陸運局で返納してきました。
自賠責と任意保険は解約したら残りが二ヶ月あったので、電話して書類書いたら合計二千円戻ってきました。
半年は激しい運動×とのことなので、むしろ早くて半年くらいしたら原付くらいなら乗れるかもしれないがそこは骨を強固に治したいので長めにおやすみすることに。

事情を話してない人にはバイク事故かと聞かれるけどそうでなくて、そうでなくても外科手術はクソ痛いので、二輪はモトクロス/ED/レースオンリーにしたいと思いました。
外科手術=凄く痛い 公道→人間や動物が飛び出してくる→アスファルトと戦っても人間はたぶん負ける

自分の中では、競技には競技の危険もあるし、自然も危険なんだけど、それに納得してやるんならいいのではないかという納得がある反面、移動手段で死にそうになるというのは勘弁したいという感じですね。。

治ったら親孝行とトランポ貯金をしなくては。

少なくとも親が生きているうちは死なない必要がある気がしてきた。
手術の後、個室で意識が戻ってきて、両親が座っていて、母がずっと見えて、声が出るかもとなり、ありがとう、もう大丈夫だから、暗くなるから、帰ったほうがいいよ、と言うまでずっと黙ってそこにいてくれて、「そうだね、看護の人の邪魔になっちゃうし、帰るね」という会話をして、
もし死んだあとこの世にまた生まれ変わることがあっても、この人の子供に生まれたいと思いました。
退院して家に着いて落ち着いたら、母にそう思ったと伝えたりした。


ちなみに腰の装具は0.6kgでした。
散歩ばかりして揚げ物を食べないみたいにしていたら3kg痩せました(手術入院の10日ほどだけで筋肉が減ったとは考えにくい)

普段からスクワットとかして脚の筋肉を鍛えたり、腕を鍛えておくとどこか一箇所治すときに復帰が早いと思います。
広いリハビリ室で色んな老人が沢山手すりの前に一列になり無言で車椅子や椅子などから立ち上がる筋トレをしているのを見るとそういう事しか言えない。

だんだん暖かくなって汗をかくとコルセットの樹脂がべとつくのでこまめにシャワーに入ったり着替えています。