これはフィクション

書く、を気軽にする

1/31 フィクションでないフィクション、というジャンル

 

 小説の世界にはフィクションでないフィクションというのがある。ここで言うのは実体験を交えた小説などの、当人の体験をある程度取り入れたフィクション、というものではなく、登場人物の名前だけ変えて、露骨な場合は自分以外の登場人物の名前だけ変えて小説として発表されるものだ。

 冷静に考えると、小説というくくりではなく体験記というジャンルに入れればいいのだがそうはならない。私小説、というよくわからない言葉もある。理由には二つあって、一つが内容的なものだとしたらもう一つは商業的な理由であると思う。

 内容についての話は簡単で、ものすごく恥ずかしいようなものであるか、犯罪であるかの二択となると思う。前者は現代文学でよく散見できるタイプで、誰の何とは書きたくないが適当に仕事してセックスして人間関係をはなしの中核とするようなタイプが多いと思う。後者は犯罪そのものがはなし(創作でないので物語とは書かない)の中心になる。前者は小説と釘打たないと読むほうも読みにくい。後者は小説ということにしておかないと時候が来ていても公安から他の案件でマークされやすくなる。

 商業的な理由については、主人公がドイツ留学をすることになっているという紹介文の小説は売れるかもしれないが、OOのドイツ留学の体験記、なんてものは売れない、と書けば簡単である。前者はドイツ留学そのものに興味があまりなくても楽しめるかもしれないと思わせるが、後者はそれ自体に興味がなければ絶対に手にとってもらえない本となる。月間小説誌というものは溢れているが、月間体験記が売れた話は聴いたことが無い。

 では現実と創作を同じ土俵に置くとなると、なにが面白さなのか、という問いが出てくる。そこで文体とか、あるいは個々のイベントの配置組み立て(広義のプロット)となるのだと思うし、そこが創作でないものを書く書き手のこだわることができる点となる。完全創作の場合は個々のイベントや人物、場所なども自由に創ることができ自由度が上がるが、そこがおもしろくなるかどうかというリスクも孕む。

 であるからにして、創作において本当におもしろいものを書く能力がある人がその本領を発揮できるのはSFなのではないかと考えた。一番自由度が高いジャンルであるからという単純な理由である。しかし皆も知っているかもしれないが、つまらないSFというのはどのジャンルのつまらない小説よりもつまらない。

 人間はだれでも一生に1本は小説、自分の人生についてのもの、が書けるというのはうまく言ったものだと思う。文才がないとそれ以外を書くのは難しいからだ。

 自分も何本か創作の小説を書いてきたけれど、どれもわりとつまらないので、このようなことを考えた。最近読んだ中で面白かったものが名作のSFと、実体験をそのまま書いただけのものであったというしょうもない理由もあるが…