8/4 快楽とはつまり何であったのか
快楽は中国語普通話で カイルゥ~ と発音する。非常に快楽っぽい。
子供の頃は快楽が何であるかについては全く検討もつかなかった。
快楽という言葉が存在するというだけで、その言葉と日常との接点が無かったのである。
子供時代は幾らか過ぎて、快楽という言葉についてのヒントを得た気がしていた。
快楽はセックスだと思っていた。
快楽は睡眠だと思っていた。
快楽は食事だと思っていた。
快楽は麻薬だと思っていた。
快楽は依存だと思っていた。
快楽は同時に苦しくもあるのではないかと思っていた。
あるときぱっと頭に浮かんだ。
快楽などという行為は存在しないのではないか。
気持ちいいことを快楽と説明するのは簡単すぎる。
しかしだ、上記のうちいくらかを体験しても、
「ああ、これが快楽ってやつか。」
とはならなかったので、行為主体でなく気持ちの問題なのではないかと思えてくる。
セックスは運動だ。運動はまあ心地よい。
睡眠は休息だ。寝るより楽は無かりけり。
飽食は7つだかの大罪。私は罪人である。
麻薬は種類がありすぎてひとくくりにできない。全部試すのは面倒だ。
依存は痛い。心が痛い。身体が痛い。ちっとも楽じゃあない。
苦しさは苦しさで、それは苦しさでしかない…
こうなってくると、人生に関わる感情や行為の全てが、
「気持ちの問題」、で片付いてしまう気がしてくる。
複雑に絡み合い上手く機能しているように見える人体とはこうもあやふやであったのか。
最近は疲れるだけなので、一人で酒を飲むことが殆どなくなった。
酔いに飽きたのかもしれない。
酔っても死ななければ明日は必ず来る。
日本人はよく酒を飲む。
白人のほうが飲むだろう、と聞いたりもするが、
向こうのビールは度数が低かったりする。
飲み会での飲み放題の利用とか、今となってはなんだか感心するばかりだったりする。
一時期は酔うのが面倒だがビールっぽいものが飲みたい、
といういささか間違った理由でノンアルビールを飲んでいた。
と思えば紹興酒をコーラのように飲んでいた時期もあったので極端なのだ。
ヘロインは、効いている時は「快楽」が得られるという。
私はそんなバロウズの手記を読んで涎を垂らすばかり。