これはフィクション

書く、を気軽にする

10/17/2012   うつとADHDという謎(4)(終)

一連の投稿の続き。 

(これは個人の記録であり全ての人に適合するわけではない。 

ADHDにも色々あるらしくHDがない人やLDを併発する人などさまざまだ。)

 

 ADHDの診断が下りても何も変わったことはなかった。私が成人で、リタリンコンサータが処方できないというのもあった。うつに困っており、ADHDの特性に困っているという時期でなかったこともある。だがあまりにも医者と母が何かが氷解したような反応をしていたことが気になり、田中康雄『大人のAD/HD』と『おとなのADHD』(外国著者の連名、監修は田中康雄)という二冊を購入した。というか当時この二冊しかなかった。

 一冊目の本を読んだところ、私にとっては当たり前の日常しか書かれていなかった。二冊目は厚すぎて退屈で飛ばし読み程度だ。

 

 自分にとっては当たり前で、他人にとってはそうではないと知ったとき、 悲しいことが多かった。ぼろぼろ涙が出た。今までの人生で、注意していてもできるようにならなかったこと。努力しても挫折せざるおえなかったこと。それらは障害のせいだと書かれていたからだ。つまりは、以後私がどんなに努力や工夫をしても、できるようにならないことが存在するということだった。それは絶望だった。微かにまだ可能性を感じていた、ダートバイクのレーサーになる夢を諦めなければならないことも意味したと思った。だから自殺も考えた。それだけ説得力があり、衝撃的であった。

 

 診断は当初は自分にとっては何の救いにもならなくて、ただ、家族への安心(ほかの進行性の、例えば統合失調症などの病気でないということ・思春期における人格障害の説明)、うつとの治療方針の決定(ADHDの人間には使わないほうがいい抗うつ剤もある)、と周囲に役立っただけであった。

 衝動性(会話・行動)。注意の欠陥(、に伴う物忘れ)。これらを細かい工夫で解決する方法を探すことや、問題にならない環境に自分を置くことができれば、障害は問題ではなくなる。つまりは服薬も必要なくなることもありうる。現に私は服薬せずに大学を卒業し(しかもかなりいい大学)、就職までしてしまった。干渉しない父親。親身に話を聞いてくれる母親。私を受け入れてくれた友人。米国の学校、変わり者だらけの中高一貫の女子校、変わり者がより称えられる大学の学部。営業成績以外には寛容な会社。環境に恵まれていたのだ。感謝しなくてはならない。

(まあ、今は会社に適応できていないのかなんなのか、うつが再発してしまっている)

 逆に、そのようにできない時、QOLは著しく下がっていってしまうのだ。

 

診断前に医者に言わなかったADHD的所見を書いていく。

医者が障害をずばり当てたのは謎だが、後から調べたら彼は拠点病院で経験が長かったらしい。30代に見えたが、実は50に近い経験のある人だったようだ。私の診察時の様子からわかったのかもしれない。

診断がその後どう役に立ったのかというと、併存する障害のもとにある問題を理解することに役立った。

 

衝動性・もの忘れ・片付け不可・劣等感

 語るまでもないと思うくらいに、これらはすでにもう私の性格の一部だ。これらのうち、ぱっと何かを思いついて口にする、忘れる、片付け不可、劣等感、は付き合いの長い友人にはすでに性格だと思われ受け流されている。初対面の人間には出身大学やペーパーテストなどの良さに比べてこれらがよくないことに驚かれる。

 困るのは衝動的な買い物や放浪(いきなり2時間歩いて江ノ島まで行って帰ってこれなくなる)、職場での発言、片付けや物忘れ、人生の指針を選ばなければならないときの劣等感である。就職なんかはあそこも受ければ得意な専門技術的な面で受かっただろくらいに言われた企業が多かったが自分には無理だと思い受けなかった。

 

 車の運転 は一般的なADHDの人間が苦手とする作業らしい。車の免許は合宿で取っている。合宿は日程を延ばさないために必死だ。一回の補修で卒業。バイクの免許は4時間補修をした。診断前に三度車をぶつけ、診断後には一度、バイク事故も一度、免許の交付から3年で計5回(全て自損)を起している。医者はもう運転はサーキット以外ではしないほうがいいと言う。先日のバイク事故以来誰にも反論できなくなった。自分にすら。私は子供の頃、X-Gamesのモトクロスに憧れていたのだ。しだいにエンデューロやラリーに興味を持つようになった。だがバイクに乗れば次回は多分私は事故死する。あるいは他人を殺してしまうかもしれない。この特質は治らないだろうと思う。ストラテラなどを飲んで運転が健常者と同じくらいできるようになったらこれはもう大発見だし喜ぶ。そしてADHDは障害でなくなり疾患になるんじゃないかと思う(注意欠陥や多動が治療ができるという点で)

 

併存した障害

 反抗挑戦性障害・行為障害 は本当に深刻な人格障害とならず済んだ。薬物や暴力には常人よりはかなり親和性があったが、それ以上に興味がある対象ができていたからである。高校時代はウイスキーを隠れて飲んでいて、煙草も吸っていたし、クラスの知人と殴りあいの喧嘩になることもあった。今思うとこの頃は危険・自己顕示・他人の不幸に生きがいを感じる完全な人格障害があった。嫌いな奴は殺してしまえばいいと思っていた。だがあるとき東大に入ろうという決意をしてしまう(衝動的である)。駒場キャンパスが井の頭線から見えたのだ。有名な作家は帝大・東大が多い。天文学にも興味があり、ミチオ・カクの超弦理論の本などを読んでいた。天文学科はあまりない。東大しかないと思い勉強した。それが私を飲酒や喧嘩から引き離した。嫌いな人間に構っている暇などないと思った。だからか模試の結果はよかった。だがセンター試験に集中出来ず、点数が足りず受けることはできなかった。だからこそ、特にすることもなくなった別の大学の入学後、薬物の乱用をしていたんだと思う。

 

金銭の問題

 株に興味があり、ライブドア堀江のように儲ければ就職しなくてもいいと考えた。大人しく毎日同じ時間に家を出て行き遅くまで働き返ってくる父親を見て、自分は会社生活はやっていけないだろうと考えたからだ。チャートを読む勉強をして、指標も数種類使い方を覚えた。投資心理の本も読んで周到に準備をした。低位株の取引を始め、10万円の種金から半年で130万円くらいまで増やすことに成功した。儲かった分は引き出し、また10万円からはじめる。そのほうが投資心理上いいように思えた。だがその大半の80万円はFXの損失で、残りは買い物(何に使ったか覚えていない)に使ってしまったのである。しかしその間にまた10万円を50万円くらいにまで増やした。これは両親への借金を返したり、旅行に行くのに使った。まだ両親への借金が30万近くあるが2万円ずつ返しておりあまり何も言ってこないのでありがたい。満期の定期預金が60万あるので早く解約して返すべきか。というか早く返せ。給与の20万程度なんて残るわけないのである。正規雇用で働くのが正しいのかどうか悩む(→今のうつ?)。

 

薬物乱用の問題

 中学中盤~高校くらいまで、ウイスキーを飲んでいた。両親に見つかって手紙を書かれたが内容は記憶していない。それでも受験を考えるまで辞めなかった。2日でポケット瓶1つくらい飲んでいた。たばこはときおり吸った。買ってきただけで吸わないこともあった。大学に入ってからはずっとショートホープだ。それがかっこいいと思っていたかなんかだ。今はこれがいちばんうまいと思うがうつがひどいと吸う気力も起きない。

 大学に入ってからは(2)のエントリにも書いたが大麻に興味があった。18で初めてクラブに連れて行ってもらって、それからは自分で行くようになった。大麻はなかったがLSDは買ったことがあった。これは嫌いだった。怖いし目が廻る。覚せい剤も進められたが、興味がなかったし、怖かったので買わなかった。以前も書いたようにスパイスゴールドを吸ったり睡眠薬で遊んだりしていた。スパゴは初代のものが手に入らなくなって辞めて、睡眠薬は単に飽きてしまった。大量服薬はしたことがない。全て飽きてしまった。大学に行くほうが楽しかったからだと思う(健康的だ…)昨年オランダでコーヒーショップで大麻を吸ってきたがあれはよかった。品種を選ぶのが楽しい。品種の品評会を見に行ったのだ。むしろ大麻そのものよりもその品種とか、樹脂の製造過程とか、産地、栽培方法(土か水耕か)、ガラスパイプの種類、などの知識面に興味があったように思う。ハイタイムズカナビスカップ(品評会)でのアメリカでの医療大麻の認可によりアンダーグラウンドの文化が廃れる問題についての女性の講演が面白かった。これが例えばクジラへの興味だったら立派な研究者になれたかもしれないが、日本で非合法だからこそ興味を持ったのだと思う。

 先日肩こりからの頭痛で脳のMRIを撮ったが全て問題なく健康な脳だと言われた。

 最近はうつと仕事の疲れで月に二回くらいしか酒も飲めない。覚せい剤に手を出していたら違った結末が待っていたとも思う。覚せい剤だったら大学を卒業できなかったかもしれない。石丸元章より先に中島らもに出会っていてよかった。

 薬物より楽しいものは人生で沢山あることがわかったので今はさほどこだわりがない。大麻だけは今でも立派な写真を見たりどこの品種をどこの会社が開発したとかの情報は気になるし面白いが、使用はわりとどうでもいい。

 orbitalやCPU、カリガリのライブだとか、戦前戦後の日文、露文、執筆など趣味に時間を割けていない現状、薬物に手を出す暇も理由も金もない。

 

 うつ (ラスボス)

 最後に立ちはだかる鬼門である。うつを発症したからADHDがわかったといえばそうだし、ADHDがあるからうつを発症したのかもしれないとも言える。

 薬物治療は薬物の選択が多く難しいし、休養するっつても会社を休んだりしなきゃならねー。理由もなく死にたくなるわ突然涙が出るわ家に居る家族も何が起こってるか分からないわかといって本人にもわかるわけでなしに。

 ひどいときはめしくうのも風呂はいるもテレビ見るもできなくただそこに居るだけで精一杯。

自殺未遂を起したことがないのはたぶん、ちょっと調子わるいな?状態から寝たきり劇悪化までの状態への変化が激しすぎてする暇がないのかと思われる。寝たきりになりながら死にたいと思うことはよくあるから。回復はいつも身体より中身のほうが遅れてついてくる。

 うつの状態の変化、悪化や回復に対応し薬も変わっていった。

パキシルから、トレドミンサインバルタジェイゾロフト

安定剤はリボトリールが入った。

今は夜ジェイゾロフト、リフレックス、リボトリール、朝ベタナミン 

頓服ソラナックスリスパダール0.5 になった。

ベタナミンとリフレックスは悪化時に追加したので効果があるのかないのかわからん。

文章を書ける程度には回復。これでまた落ちてしまったらジェイゾロフトサインバルタに変えるんだろうか。

 

 

ADHDという診断は大人になってからではいまいち助けにはならない。

むしろ障害者になってしまうので正式にしてしまうと保険に入ることが難しくなる。

私はうつのほうで初診しているので備考欄にADHDとあるだけだ。

ただ、併存する障害がある場合、そこにADHDという器質が前提にあるということを知ることは助けにはなると思う。

 

それとはまた別に、

うつは突然やってくる。急に来る。しかもこじらすと長引く。

自分はならねー、鬱は甘え(かつては自分もそう思っていた)とか思っていてもくる。

用心しておくんだな…毎日薬飲むのだるいぞ、飲まないともっとだるいぞ。

 

躁鬱病におけるうつとうつ病のうつはかなり違いがあるらしいがそれはよくわからないので触れないことに。