これはフィクション

書く、を気軽にする

02/07/15 思考停止とエロ

6日に書いた記事を7日として投稿していたようです。夜ってほら、日付が曖昧じゃないですか。

過去記事の処方を見てもらうと自明なんだけど、自慰でもセックスでもイけません。
以前ならここらあたりで来るだろう、という時に来ないのは喪失感が大きいです。なんだか冷めてくるまで音楽でも聞きながらだらだら待つか、スケボー動画を眺めるなどに収束します。オーガズムで放出される脳のホルモンとかもおそらく出てないので、脳にはよくなさそうです。
医学的に深刻な副作用です。が、死ぬよりはましとのこと。


昔から、いわゆる女性向けのエロコンテンツでなく、男性向けコンテンツを読んだり見たりしていたので、きれいなおねえさんとおっぱいがすきです。叩きたくなるような尻も好きです。求めてくる女性がかわいい。私のマグナムがあったらブチ込んでやりたい、というようなものを日々求めています。

秀逸なエロ絵はわけのわからない所に潜んでいたりするので気が抜けません。エロ以外の見所も沢山あります。


商業誌は誰にでもウケることが重要というのがあるので、快楽天などもだいぶロリ絵傾向が進んできました。幼女はダメなのにおねショタはいいのか。
対してネットで趣味で描いてたり、フェチ傾向の強い同人には「日本の伝統、やりすぎの触手」(観察用)とか、「ボテ腹搾乳」(ここ数年好きになった)、「M女」(なぜか商業ではあまり描かれない)、などレパートリーが無限にあります。
さらに傾向として、R18と全年齢向けでは同じキャラクターでもかなり体型に差があります。
最近だと艦これの赤城加賀あたりは、R18だと平均して胸が2〜3カップくらい大きく描かれている印象があります。艦これは元の絵が比較的ハッキリしていて、二人は元がそれなりにでかいのでこれくらいで済みます。

東方だとそうはいきません。元絵が少女設定、服が独特、公式見解は「少女」なので、いわゆる「乳くらべ」ができない状態になります(それでも公式巨乳はいないわけではないが、少ない)。
なので、全年齢向け本でAかAAくらいでもR18本を見るとD、Eくらいまで幅が出てくるキャラクターもいて面白みがあります。
「デブなのかガリなのか普通体型なのか」の議論が10年単位で行われていたりして、グラフィックがあるメディアとしては発生しにくい論点であり、キャラクターデザインとはどういうものなのかについて考えさせられます。キャラクター構成上重要なのは体型ではなかったのでしょう。


エロ絵を見ていくと、時代によって人の日常を囲むものが変わっていくのもよくわかります。エロ漫画のエロ以外の部分、背景、部屋、玩具(家電)、などは世界観を設定されることが多い一般向け連載よりもかなりランダムに、書き手の、あるいは読み手に親近感を与えられる内容になります。勇者が城で姫と秘事、というような内容(あまりない)でないかぎり、かなりその時代を反映します。

商業誌でも、80年代のエロ漫画にはなんと最初のページでゲーム基板で遊んでいる模写がありました。最近は団地妻系は減っていて、大学のサークルやアルバイト先、職場の人間が増えています(大学進学率上昇と女性の社会進出の影響?)また、広大な田舎(海、田んぼのある村)・里帰りモノも増えている感覚があります。

何が言いたいかというと、音楽を聞きながらエロ絵を見るのはどちらも捗らないので、音楽を聞きながらテキストを書いてみました。

昔からなんでも聴く人間でしたが、最近はミクですらない、音声読み上げに音程をつけた声が歌う音楽すら聴いています。CDが売れないのはまともなポータブルCDプレイヤーが売っていないからだと主張していきたい。国産は全滅しました。欲しい版の在庫が店頭にないことが多いのも痛いです。邦楽CDはここ数年インディーズ直販かレンタル落ち100円のものしか買った記憶がないです。コンビニでシングルCDが売っていたのが懐かしいです。

最近はめっきり小説の創作意欲がない。純文やSFを書くイデオロギーもなければ、二次創作をする愛もありません。小説が仕事じゃなくてよかったなと思っている次第です。悲しくもあるけれど、私と文章の関係性はその程度なんでしょう。こうやって、日記ですらない暇つぶしに帰結します。