これはフィクション

書く、を気軽にする

08/16/15 健康に過ごすことに対する諦め

愚痴しか書かないと決めた。


健康に過ごしたいと思う気持ちを諦めてしまってから結構な年月が経つ。

病は来て、去ったり去らなかったりする訪問者のようだ。

もともと健康な子供ではなかったと思う。
スポーツなどはしていたが、とにかく皮膚のアレルギーが酷かった。ステロイド療法も、ステロイドを使わない療法も、提案される健康法も色々試した。地元はサーフィンが盛んだったが、塩水に身体を浸けられないので友達の話を聞いて羨ましいと思った。
が、皮膚は二の次になってしまった。

BMIが肥満寄りなのもあまり気にならなかった。痩せても皮膚が綺麗にならないのは変わらないし、子供の頃から体重をどうにかしろと医者に言われていたのでむしろダイエットという概念がよくわからなかった。元から太っていたので太るきっかけというものがわからなかったというか。
それでも後の人生で何かがおかしくなりマラソンにハマり10kg以上痩せたりしたが何か変わったという感覚はなかった。

頭がこわれた。
20くらいがピークだったので、このブログを始める三年前くらいか。天井を見つめていることしかできなくなって、世間はそれをうつと呼ぶことを人に教えてもらった。

入社してからの一年半で、感染症で入院し、ぎっくり腰をやって、そのあと帯状疱疹をやった。
有給が消化できない会社だったが見事に消化した。
腰は治ることがなくて、痛くなってきたら家庭用低周波治療器をあてて誤魔化してきたが、年貢の収め時なのだと思う。
痩せればいいみたいな話は五分でできるならやりたい。これまで使ってきた肉体を簡単に改造できるならこの世に整形手術はいらない。痩せればどうにかなると言う人間はいなかもないが、確定事項でない努力をする程の気力もない。BMIが肥満判定に行くほどでもないし。

もう健康にというか、身体について何も不安がない状態になれると思わないので、そのことに興味がなくなってしまった。

困るのは健康でないと苦しいし、簡単に死ぬことができるわけではないので生きなければならず、生きるにはある程度の目的を持って日々を過ごしたいという思いはある。
誰かにどうにかしてほしいとかはない。


好きなことをして、後は死ぬだけだと最高だと思う。
痛み止めが切れると目が覚める仕組みだ。
飲み薬に限界があるのでヘルニア検査と神経ブロックがルートとしてあるが、あれも麻酔であるし根本的にどうにかなるわけではなさそう。
とにかく現金で払える纏まった治療費がないし、車両もレースに出れないなら売ってしまった方が後髪を引かれることもなくなる。生きる目的を半分以上失うことと引き換えに。